田んぼのあぜ道を自転車ではしって

 ようやく秋がやってきそうな気配があります。だいぶ前から夜になると秋の虫の声がきこえていたものの、日中は暑い日が続いていました。

 長い梅雨があけて、やっとお日さまに会えた!と喜んだのも束の間、連日の猛暑で、バテバテの夏でした。若いときは暑くても活動ができたのに、今年の夏は特にだめで、すこし外で作業しただけでふらふらするので、困ってしまいました。

 このところは、午前中はなんとか作業を休み休みやって、午後はおやすみしていました。それが昨日は、子どもたちとお昼寝してから、午後は外で遊べるほどになって。お友だちと一緒に、田んぼのあぜ道を自転車乗りしにいきました。

 我が家のある集落は坂道ばかりなので、自転車に乗れる場所がすくなくて、自転車のりはちょっとしたお楽しみです。田んぼは稲刈りを始めた家もちらほらあって、黄金色に実った稲と、はぜかけされた稲と。だんだんになった田んぼ、あぜ道にはコスモスも咲いて、本当にきれいだなぁ、うれしいなぁ、と思いながら、子どもたちの後ろをついて歩きました。

 あぜ道を散歩しながら、ふとこの頃出合った本のことを思い出しました。ハーバルノートの荻尾エリ子さんの「八ヶ岳の食卓」。長野の茅野で暮らす萩尾さんの、日常の生活、その中の気づき、それからおいしそうで試したくなるレシピが、やさしい言葉でつづられています。

 気持ちが暗くなるニュースの多い中で、文章からあふれてくる萩尾さんのやさしさがううれしくて。会って少しお話しただけで「なんていい人なんだろう」と思う人がいますが(心のなかで勝手に「菩薩さま」とよんでいます)、ページをめくってちょっと読んだだけでそんな気持ちになる本で、いまの私にやさしく語りかけてくれました。

 暑さでバテて、なにもできない自分にいらいらする日も多かったのです。そんな中でこの本を、こんな風に日常を愛して、気持ちよく暮らせたら素敵だなぁ、と思いながら読んでいたのですが、田んぼで自転車をのる子どもたちの後姿を見送りながら、景色と子どもたちが本当に美しくて…とてもいい日になりました。

2020の初投稿が、まさかの8月

 ずーっとずーっと、心の奥のところにはあったのです。「さすがにもうそろそろ書かないとなぁ」という気持ちが。 でも、まさかの8月!

 例年ならお盆を過ぎれば秋の風、涼しくなっていくはずが、信州もまだまだ暑いです。 無理をしないように。 畑に出るのは朝や夕方にし、日中はなるべく家で過ごすようにしています。

 2020になり、あっという間にコロナの時代となりました。 大変といえば大変だけれど、我が家や、我が家のある集落は、とても平和で穏やかな日常があります。

 緊急事態宣言が出されていた間も、マスクをするのはスーパーに買い物にいくときくらいで、子どもたちも私も、畑でのびのびと過ごしていました。

 けれど、連日コロナのニュースに触れ、東京のばーばたちやじーじの助っ人も来られず、休校休園で毎日濃密に子どもたちと関わるうちに、心が少しずつ疲れていくのを感じていました。

 それでも自然はいつもと変わらず、春には新芽がでて山菜がとれて。 夏に向かって山は青々してゆき、りんごも花が咲き、実が育っていきます。

 不便なこともたくさんあるけれど、自然の中で生きていけるって、なんてありがたいことなんだろうと、あらためて感じました。 季節の移ろいを肌で感じられることも、心のピリピリをやわらげてくれる気がします。

 きっと、みんなみんな、この状態に、なんだか疲れてるんじゃないかと思うのです。 それでも、毎日生きていかなきゃならないし。 よし、わたしも、無理せず、頑張ろう。

 もうすぐりんごの収穫の季節がやってきます。 りんごのお便りをしたお客さまからも、ご注文が届き始めました。

 このコロナ禍で、果たしてりんごの注文はくるのだろうか? と心配していたのですが、お客さまから暖かい言葉をいただき、本当に励まされています。 ありがとうございます。

 また少しずつ、日々のことなど、更新していきたいと思います。

被災者の方々に、お見舞いを申し上げます。

こんにちは。ひなたざかの母です。

中生種、とよばれるりんご、ひなたざか農園では陽光やシナノスイート、秋映、ジョナゴールドなど、10月中旬頃のりんごの収穫・発送がようやくひと段落して、ほっとしています。

12日の台風19号では、私たちの住む千曲市内でも、千曲川沿いの市街地などでは河川が氾濫して、住宅などに大きな被害が出てしまいました。私たちの農園、家は千曲川からは離れており、また山手にあるために、大きな被害はなく今年もりんごをお届けすることができています。

台風のあと、たくさんのお客様からご心配のお電話、メールをいただき、本当にありがたく思っています。しかし同時に、「我が家は大丈夫でした。りんごもお送りすることができます」と答えて「よかったですね」と言っていただく度ごとに、だんだんと気持ちが落ち込んでいくのを感じていました。

確かに我が家は大丈夫だったのだけれど、とても大変な状況のひとたちがいる…。無事でよかった、よかったのだけれど、「よかったです」と口にするのがすごく苦しくなってきて、、それと同時にわたしもやはり、災害があったときに、被災地の近くの知人、友人たちの安否を確認し、同じ声をかけてきたことに気づかされました。そしてそのことを思うと、やっぱりそれでも、友人が無事だったら、よかったなぁ、と心から思ったのだから、それを口にすることは悪いことではないのだとも思うのです。

だから私はきっと、心配していただいたことに「ありがとう」と言えばよかったのだな、と。なんだか、もやもやがずっと続いていたのです。夫は何度か被災地にボランティアにいっており、私もただもやもやしているのではなく、これからは活動をしていきたいと思います。

台風のなかで考える

こんにちは。ひなたざかの母です。

また台風ですね。しかもかなり大型の…

昨日は中生種のりんごを、「台風の前に」と色づきを見ながら収穫をしました。我が家のりんご畑はまわりを木に囲まれていて、大風がふいても木に守られてきたのですが、収穫直前のりんごは落ちやすくなっていることもあり、収穫できるものは収穫しておこうと。

はぜかけした田んぼの稲も、はぜが倒れやしないかと心配ですが、こればかりはどうしようもないので、祈るばかり。りんごが落ちませんように、はぜも倒れませんように…

早くに稲刈りした田んぼは、一昨日2人で脱穀をして、今朝は新米。ごはんっておいしいなぁ。昔はごはんがこんなにおいしいなんて思わなかったな。いや、ほんとウマイ。

それにしても、自然災害がだんだんに酷くなってきたように思います。こんなに深刻な被害の自然災害が連続しておこること。地球の環境破壊がすすんでいることと、無関係ではないでしょう。今この現代に生きる私たちにとって、環境が破壊されていくことを、もっともっと自分に引き寄せて考えなくてはならないんだろうと思います。無責任でいることはできないと。

科学が進化して、環境破壊を止めてくれるとか、そんな期待をするよりも、自分に少しでもできること。進みすぎた文明を、後戻りさせろとは言わないけれど、生活を見直してみたい。もっともっと、できることがあるんじゃないかと。エネルギーを使いすぎてはいないかと。「買う」ということだって、いま買おうとしているものが、どれだけのエネルギーを使って生産され、どれだけのエネルギーを使って運送されてきたものなのかって、考えること。
本当に本当に、むずかしいのだけれど。 。

今回の台風で、あまりひどい被害がありませんように。

虫さん、こんばんは。

こんばんは、ひなたざかの母です。

この時間になると、秋の虫の声が涼やかに、でもうるさいくらいに聞こえています。いろんな種類の虫の音。少し前にはカエルの大合唱が聞こえていたと思ったら、、季節はうつろいゆくものですね。

それにしても虫の声、さすがにすごいなー。と思っていたら、家の中で鳴いているヤツがいました…虫さん、ようこそ。呼んだつもりはありませんが。。我が家での虫さんは、刺すヤツ以外は黙認されております。まぁ、特別に害もなさそうだし、目くじらたてることもないかと。共存。かといって「来ておくんなせー」と歓迎しているわけではないのですが、過ごしやすいのでしょうか。

たぶん近頃の家の感覚からすると不潔というか、汚いっちゅうか、まぁ少なくとも違和感があるのだろうな、と。でもね、虫も生きられないような家だったら、やばくないですか?というのは冗談で、実際どうしたらいなくなるのか分からない、というのが本当のところです。

何年も空き家だったこの家に引っ越してきたときは、本当に大量の虫にびっくりするやら呆れるやらでしたが、そのときからすると、大分減りました。かといって全くいなくなる日は来ないでしょう。

時々、雨降りのあとにカエルが跳ねているときもあり、そのときはそっとお外に帰してあげています。

ご注文ありがとうございます

8月の終わり、ようやく今年のりんごのお知らせのお手紙が出来上がり、いつも買っていただいている皆さんに送付することができました。ふう、これでひと安心だわー。と思っていたら、翌日からさっそく我が家のFAXが鳴り響き、うれしいご注文が次々に届いています。

そうだ!お手紙を出したら注文がくるんだった!!いや、当たり前なようですが、本当にうっかりというか何というか、びっくりしました。…驚きましたが、ありがたいです。この時期以外はひっそりとしているFAXつきの固定電話、彼に1年に1回の出番がやってきて、一生懸命がんばっています。

春はわたしが作業をしている間、毎週りんご畑で遊んでいた子どもたちも、熱中症にならないよう夏の暑い時期は畑には行かずに過ごします。先日ひさしぶりにりんご畑にいくと…「りんごがでっかくなってる~!!」と大はしゃぎ。りんごの木に登ったところをパシャリ。早い品種のりんごを味見すると、まだ酸っぱいけど、それでも美味しい。

よーし、皆さんにおいしいりんごをお送りできるように、頑張りますね!

みな、やっとの思いで坂をのぼる

こんにちは。ひなたざか父です。はじめての投稿なので何を書いたらいいのか。

僕も、妻(ひなたざか母)も本を読むのがすきで、いつも手の届くところになにか読みたい本がないと落ち着きません。ふだんは主に図書館か、某全国チェーンの古書店の108円コーナーにお世話になっているのですが。

それでもときどきは、きちんと新刊で買って、手元において読みたいと思う本があります。webで購入してしまえばうんと簡単なのだけれど、僕のささやかな贅沢(お金の面だけではなく、です)として地元の小さな書店で注文したりします。だいたい妻には内緒です。

それで、先月お願いしていた本が届いたということで、こっそり受け取りに行ってきました。

晴耕雨読というし、長梅雨だし

以前は本を読む暇もなくて、忙しい忙しい、と思っていたのが、なんだかこの頃、いそがしくたって本くらい少しくらい読んでもいいんじゃないか、と思うようになり、とりあえずそこらへんに転がっている本を読んでいる。

オットも似たような考えに至ったのじゃないか、と思う。なんだかこのところamazonで購入したらしき古本や中古CDがちょこちょこと届き、本やCDが詰め込まれた棚から、本やCDがあふれ出している。だから、読む本には困らない。オットの興味のある本しか読めないけれど、とりあえずあふれ出した本の中から適当なものを読んでいる。

でも先日は、そのような本の中から読んでいた本で、ひどく困らされた。本のせいで鬱々とした気分になり、そのせいで体調も悪くなり、その不調からしばらく抜け出せなかった。

わたしがいま本当に読みたいなぁ、と思うのは、生活の本だ。戦前・戦後を生きた人たちの、生活の書があれば、ぜひ読んでみたい、と思う。でも石井桃子さんの話からすると、その頃の文筆業につくような人は、たいていが苦労をしらない「手のきれいな男の人」で、生活をになっていたであろうごつごつした手のおっかさんたちの本というのはないのかもしれない。昔の人たちの日々の記録。

こうやって書いておけば、そのうちにオットがそのような本を買って、家に届くかもしれないと思いつつ、書いた。

なんだかプラスチックごみだとか、なんだとか、売っているものを買うことも、なにもかも、いやになることがある。スーパーでプラスチック包装していない商品だけを見つけて買うことは、不可能にちかい。豆腐屋さんがぷっぷーといってきて、お鍋をもって買いにゆけたらどんなにいいだろう。 そんな時代の本を読みたいなぁ、と思う。

今日は午後から雨予報なので、畑仕事は午前中で終わりにして、家に帰ってきた。午後からは、いただきものの無農薬あんずでジャムづくりをしようと思う。わたしは、働き者かもしれない。雨でも結局、働いているのだから。

田んぼの草をとりながら

こんにちは。なんとも久しぶりの、ひなたざかの母です。

4月からは忙しく、書くことももちろんたくさんあって、りんごの花が咲いただの、りんごの実がついただの、摘果作業をしているだの。お米の種をまいただの、苗が育っているだの、田植えをしただの。

でもなんと忙しい忙しい、といっていてブログをまったく更新しないうちに、摘果作業(1輪摘果と仕上げ摘果)もひと段落し、田植えも終わり、稲も育ってきてしまった。

その間に大阪からの修学旅行の中学生、5校から計19人が我が家に滞在しにきたりもし、本当に書きたいことがいっぱいあって。それなのに。 時間がたつのはあっという間ですね。

これは田植えをしていたら、苗のハウスを貸してくれた近所のばあちゃんが「田植えの祝いに」とくれたおこわと、苗。神様にもお捧げして。「田植えは祭りじゃからね」と。

その小さかった稲もぐんぐん育ち、でも稲とともに草も育ち、わたしは今日も草と戦っていた。一昨日も昨日も、草をとっていた。明日もとるかも。

草をとりながら、いろいろ考える。草をとっていたって、わたしの頭の中は自由なのであるから。自由に考えていたら、ふと、ブログを更新することを思いつき、こうして更新してみた。

りんごの方の作業がすこうし落ち着いてきてから、ちょこちょこと本を読んだりもして、でもその本の内容に心がすっかりやられて、立ち直れなくなったり。そんなことも、草をとりながらまた思い返してみたり、こうやって言葉にして少しずつ吐き出すことで、私の中のなにかになったり、するんだろうか、と思う。

みそ仕込みました。

ということで、先日の麹をつかって今年もおみそを仕込みました。

麹づくりと平行して、昨年とれた大豆を洗い、水にほとばし、大釜で煮て、保育園とかのお友達を呼んでみんなわいわいで作った。

昨年までは、親戚のうちでやらせてもらっていたので、我が家で仕入れるのは今年が初めて。土蔵の中に、昔の釜が眠っているのは知っていたけれど、住み着いて9年で、初めてお天道さまの下に引っ張り出してみました。わずかに錆はあるもののたいへんきれいな鉄釜です。お隣さんに聞いたところ、みそ煮や葬祭の湯沸しなど、戦前から隣近所で大切に使っていたものらしい。「戦時中には軍に供出しろって話もあったけど、この釜は出さなかった」とのこと。長年、という言葉では言いあらわせない暮らしが染み付いています。「今じゃ使うもんもいねえし、もったいないからどんどん使え」とのお言葉に甘えて1斗5升の豆を薪の火で煮た。ちょっと焦げた。

さらに。煮豆を餅つき機で潰そうとしていると、また別の近所のおばあちゃんが、「まめ潰すにいい機械があるよ」と、電動の搾り出し式の豆潰し機を使わせてくれました。「うちじゃもう使わないから、あんた家で使うならあげるよ」と。むにゅ~、と潰れた豆が出てくるのには子どもたちもおお喜び。たいへんいい調子です。

麹はまあ、ぼちぼちの出来だったけれど、こねこねを手伝ってくれたこどもたちから、いろいろ教えてくれたご近所さん、80歳の年齢差の皆で作った、うちのお米と大豆のみそ。

みそをこねている時間は、じっさい1時間にも満たなくて、あとは皆でお茶をしたりして、年中行事のお祭りみたいなものです。みそは秋ごろから食べられる予定です。