りんご開花

乱高下のお天気がつづく春になっています。
今朝はまだ淡い新葉のからまつ林が朝霧に沈んで、静まりかえった山の景色でした。日中は真夏日に届こうかという騒がしい暑さ。

りんごの花も、例年にないはやさで咲いています。
通常は、4月末ごろからゴールデンウィークにかけて開花するはずの「ふじ」の花が、今年は今月の半ばにひらきました。りんご畑は一面にうすい花の色でにぎわいを見せて、うっとりするような眺め。

ですが、この開花のはやさはりんごのためには非常にまずく、寒のもどりによる降霜の被害がとても心配です。18日の未明にかなりの低温になり、週末にもふたたび冷え込む予報。
花が低温にあたってしまうと、受粉ができずに、実がつかなくなってしまいます。おととしも早い開花で霜の被害をうけ、りんごの収量が激減してしまったことなどが頭をよぎりつつ…。すがるような気持ちで霜よけの資材をつかったり、人口受粉の作業をしたりしています。

夕暮れのグラウンドで子どもたちはとっても元気。
りんごの結実はしばらくたたないと状況がわかりませんが、ちゃんと実がつきますように。

花粉つけ、ぽんぽん

昨日、一昨日の寒さがウソみたいにポカポカお天気です。

今日は、梵天というポンポンで、りんごの花の花粉つけをしている、ひなたざかの母です。

ぽんぽん、ぽんぽん。

効果のほどはわかりませんが、気持ちよく、ぽんぽん。

今年も一昨年を思い出させるような、開花後の霜があり、りんごの実になるか、不安な日々です。でも時期がこないと大丈夫なのかダメなのかわからないので、とりあえず今はなにも考えずに、ぽんぽんと。

炭焼きの炭ふるい

今日もぽっかぽかのお天気で嬉しい、ひなたざかの母です。

さて。昨日、一昨日と草刈りをした畑は、すっきり気持ちいいです。そんな中、今日は炭焼きでできた炭をふるいます。ふるった炭は掘りごたつを24時間あたためてくれます。子どもたちは皆、こたつむりになります…

炭焼きといっても炭焼き窯でやるのではなく、でっかい穴で、ボーボーと木を燃やします。

早朝の炭焼き、周りではこどもらが、自分たち用の焚き火で、いろんなものを焼いて食べます。枝の先にパンやウィンナー、マシュマロをさして焼いているのは、なかなかワイルド。くるみ味噌の五平餅や、ピザ、焼き芋、今年は飯盒スープも。焚き火で焼くと楽しいし、美味しい。バーベキューとは違った楽しさ。

今年は他にも3家族集まって、賑やかな炭焼きになりました。そんな炭焼きでできた炭を、ひとりでせっせとふるっております。

今年も花が咲きました

ひなたざかの母です。

久しぶりの更新。なぜか、しばらくワードプレスを起動できず、更新できないでいたのを、久しぶりにポチッとしてみたら…できました!

また時々、更新していきたいと思います。

寒かった冬も終わり、毎日ポカポカの長野です。りんごの花も咲きはじめました。

また忙しくなるなぁー

除雪

がっつりと重たい雪が降りました。

行政から自治会に除雪作業が委託されているので、こういう日は除雪車にも乗っています。

冬。

ひなたざかの父です。先週の寒波以来、例年以上に寒い日が続いています。雪もそこそこに積もって、地区の除雪のために除雪車に乗る日もしばしば。子どもたちは家の周りでそり滑りとかができて嬉しそうです。

きょうの夕方。山里。降る雪の向こう側で宵闇が手をひろげて、気がつくと、あたりが物凄く静まり返って森閑とした世界。

しばし雪かきの手を止めて茫然としておりました。

蛇の口より光りを奪え

ひなたざかの父です。あいかわらず雪は降りませんが、真冬らしい寒さになりました。

冬空の果樹園。土のしめり気。風に背を向けて、ほうろうのカップ。粉っぽいコーヒー。湯気は流れてすぐ消えた。

そんな中でカロッサの従軍日記を読んでいました。ふるい文庫本の粗い紙。活版の文字。硬質な文章が愈々身に沁みます。

十一月十七日。未明銃撃があったが、ほどなく熄んだ。陽が出ると空が晴れた。透明な雲の薄い膜のうしろには、胚種のような形をした黄金色の、虧け行く月しろが懸かっていた。担架卒が来着して、漸次全負傷兵が運ばれて行った。ピルクルは居残らねばならぬ。脈がほとんどなく、屍体になってオイトーズヘ行くことだろう。弟が一時間の暇を貰ってピルクルを見舞ったが、もう話もできない状態になっていたので、その一時間を利用してまだ息のある兄のために墓穴を掘り、十字架を削り、その上に青鉛筆で丹念に戦死した兄の名前を書き誌した。


(カロッサ『ルーマニヤ戦記』高橋義孝訳 新潮文庫 1956)