晴耕雨読というし、長梅雨だし

以前は本を読む暇もなくて、忙しい忙しい、と思っていたのが、なんだかこの頃、いそがしくたって本くらい少しくらい読んでもいいんじゃないか、と思うようになり、とりあえずそこらへんに転がっている本を読んでいる。

オットも似たような考えに至ったのじゃないか、と思う。なんだかこのところamazonで購入したらしき古本や中古CDがちょこちょこと届き、本やCDが詰め込まれた棚から、本やCDがあふれ出している。だから、読む本には困らない。オットの興味のある本しか読めないけれど、とりあえずあふれ出した本の中から適当なものを読んでいる。

でも先日は、そのような本の中から読んでいた本で、ひどく困らされた。本のせいで鬱々とした気分になり、そのせいで体調も悪くなり、その不調からしばらく抜け出せなかった。

わたしがいま本当に読みたいなぁ、と思うのは、生活の本だ。戦前・戦後を生きた人たちの、生活の書があれば、ぜひ読んでみたい、と思う。でも石井桃子さんの話からすると、その頃の文筆業につくような人は、たいていが苦労をしらない「手のきれいな男の人」で、生活をになっていたであろうごつごつした手のおっかさんたちの本というのはないのかもしれない。昔の人たちの日々の記録。

こうやって書いておけば、そのうちにオットがそのような本を買って、家に届くかもしれないと思いつつ、書いた。

なんだかプラスチックごみだとか、なんだとか、売っているものを買うことも、なにもかも、いやになることがある。スーパーでプラスチック包装していない商品だけを見つけて買うことは、不可能にちかい。豆腐屋さんがぷっぷーといってきて、お鍋をもって買いにゆけたらどんなにいいだろう。 そんな時代の本を読みたいなぁ、と思う。

今日は午後から雨予報なので、畑仕事は午前中で終わりにして、家に帰ってきた。午後からは、いただきものの無農薬あんずでジャムづくりをしようと思う。わたしは、働き者かもしれない。雨でも結局、働いているのだから。

田んぼの草をとりながら

こんにちは。なんとも久しぶりの、ひなたざかの母です。

4月からは忙しく、書くことももちろんたくさんあって、りんごの花が咲いただの、りんごの実がついただの、摘果作業をしているだの。お米の種をまいただの、苗が育っているだの、田植えをしただの。

でもなんと忙しい忙しい、といっていてブログをまったく更新しないうちに、摘果作業(1輪摘果と仕上げ摘果)もひと段落し、田植えも終わり、稲も育ってきてしまった。

その間に大阪からの修学旅行の中学生、5校から計19人が我が家に滞在しにきたりもし、本当に書きたいことがいっぱいあって。それなのに。 時間がたつのはあっという間ですね。

これは田植えをしていたら、苗のハウスを貸してくれた近所のばあちゃんが「田植えの祝いに」とくれたおこわと、苗。神様にもお捧げして。「田植えは祭りじゃからね」と。

その小さかった稲もぐんぐん育ち、でも稲とともに草も育ち、わたしは今日も草と戦っていた。一昨日も昨日も、草をとっていた。明日もとるかも。

草をとりながら、いろいろ考える。草をとっていたって、わたしの頭の中は自由なのであるから。自由に考えていたら、ふと、ブログを更新することを思いつき、こうして更新してみた。

りんごの方の作業がすこうし落ち着いてきてから、ちょこちょこと本を読んだりもして、でもその本の内容に心がすっかりやられて、立ち直れなくなったり。そんなことも、草をとりながらまた思い返してみたり、こうやって言葉にして少しずつ吐き出すことで、私の中のなにかになったり、するんだろうか、と思う。

HPをリニューアルしてみよう

HPをつくってから、なにも更新しないまま5年も経っていた。これはいかんのじゃないか、ということになり、せっかくなので、HPを新しくしてみることにした。PCのなんの知識ももたず、用語もわからず、HTMLもなんにもわかんない私でも、そんなことができるのか。目下、検証中。